#72 Koi / androp

君が遠くに行ってしまって

もう会えないとわかっていたって

僕は探すよ 君の姿を

君じゃなければだめなんだ

出会えたころとまた同じように

恋して 恋して また笑ってよ

物語が僕を拒んだって

誰かが運命を定めたって

会いに行くよどこにだって 探し続けるよ

出会えた頃とまた同じように恋するよ

              Koi / androp(作詞:Takahito Uchisawa)

 

2019年にリリースされたandropの11thシングル表題曲。

内澤のやわらかいボーカルと、穏やかなテンポとサウンドが織り成す、

極上のラブバラード曲である。

メディアにあまり顔を出さない彼らだが、近年はリリース曲に大型タイアップが付き、

知名度を上げてきている注目のバンドである。

 

ある映画を観にいった時に、最初のコマーシャルで、

この「Koi」が主題歌に起用された映画のCMを見て、

なんて素敵な曲なのだと、感動した記憶がある。

物語が僕を拒んだって、誰かが運命を定めたって会いに行く。

このフレーズだけで、「聞いてみたい」と思わせてくれた。

 

人生は、自分の力や周囲からの影響・協力をもとに切り開いているとは、

私は思っていない。

目の前には見えないレールがいくつも敷かれていて、

自然にそのどれかを選択する場面の連続であって、

その結果、今がある。

つまり運命のようなものの中で生かされていると、そう思っている。

だから、よく私は「この選択をしたら、未来はどう変わるだろう」、

「より幸せな未来を得る為には、どちらを選択したら良いのだろう」

と言うような考え事をする。

 

あるレールを選んだ時点で、物語の結末が決まってくる。

そのレールを選んでしまったら、別の場所に行けるとしても、

もうある時点に戻ることは出来ない。

それが、運命の選択なのだ。

だから、愛しいあの人が自分に向いたレールを選ばなかった時点で、

彼(彼女)の物語から自分は拒まれてしまう。

(もちろん、再度アタックしてみたり、

何か別の選択がまだその人と結ばれる結末に繋がる可能性もあるのだが。)

結ばれることがないのに、一緒に生きることは出来ないのに、

それでもあなたは、その愛しい人に会いに行くことができるか、

その悲しい結末を知った上でも、

その人に恋をすることが出来るくらい愛しているかと、

そう、この曲に問われていると感じる。

 

生まれ変わってもパートナーと結婚したいと思うかと、

質問されている番組を目にすることがあるが、

結ばれることがないと解っている人に、

また恋をすることが出来るかと問われれば、YESと答える人の数はきっと減る。

でも、YESと答えられるくらい、愛しくて愛しくてたまらない恋をしたら。

恋をしてもらえたら。

 

あなたは、結ばれないと知った運命に逆らって、会いに来てくれますか?

私は、会いに行くことが出来ますか?

きっと、限られた時間でもいいから、

出会えた頃とまた同じように君と恋をしたい、

そう思う気がする。

もちろんハッピーエンディングが良いに決まっているけれど、

本気で愛されると言うことは、本気で愛すると言うことは、

結末がどうであれきっとそういうことだ。

君以外は何も要らないと、本当にそう思えるのなら、

目の前のいくつものレール掛け合わせて、畏れず進まなければいけない。

遠回りが必要だっただけという結末が待っていたりしないだろうか。

わずかな可能性に賭けて、君に辿り着くように。

そう願って。

#71 Alone / 岡本真夜

反対側のホーム あなたと彼女見つけたの

楽しそうに二人腕を組んでた

彼女は私の大切な友達

もっと素直になれたら…もっと勇気を持ってたら…

何も受けとめられない

今もあなたがこんなに愛しい

Ah...Ah...Ah...Ah...

ぎゅっと誰か抱きしめて

あたたかい胸で泣かせて

一人で泣いてばかりで

あなたの胸で泣きたい あなたの胸で眠りたい

寄り添えば包んでくれる

でも欲しいのは同情じゃない

あなたの愛がほしい

                         Alone / 岡本真夜

 

1996年にリリースされた岡本真夜の3rdシングル表題曲。

透き通る歌声を持つ彼女だが、ファルセットを駆使するこの曲は、

より繊細で聞いていて心癒される珠玉のバラードである。

情景が浮かびやすく関係性がイメージしやすい歌詞も印象的で、

とても切ない失恋ソングとなっている。

 

「君は強いから大丈夫だよ」なんて、

そんなこと言われたら弱さ見せられない。

歌詞の出だしからリスナーの共感を生む。

人間は時に卑怯で、相手の気持ちを解った上で、

気持ちを吐露させまいと封じ込めるような言葉で盾を作ったり、

自分が悪いことを解って他人に指摘される前に自ら懺悔することで、

罪を軽くしようとしたりする。

学生の頃も、社会人になった今も、

周囲にはそんな人間はたくさんいるし、私もきっとその一人だ。

 

相手の気持ちや感情が目に見えないからこそ、

言葉や行動の駆け引きがあり、恋愛は特に、

人の本性や欲望が見え隠れする。

しかし世界(特に日本)には、自分の欲しい物を「欲しい」と主張したり、

生きたいように生きる人間が少ない。

好きな人の愛が欲しいと思うことは当たり前のことだけれど、

あなたが好きで、あなたからの愛が欲しくて、あなたと生きていきたいのだと、

伝えることが出来ずに終わってしまう恋を経験した人もたくさんいるだろう。

 

ずっと好きだった人に、恋人がいて、その恋人が大切な友達だったら。

人間は組織に属する生き物。

そんなの歌やドラマだけの世界だと思う人もいるかもしれないが、

意外とそれは日常に散在している。

もちろん、二人から想いを寄せられた人間の性格にも依るのだが、

その勝敗は、欲しいものを「欲しい」と言える人に軍配が上がり、

欲しいのに欲しいと言えずに遠慮してしまうようなキャラクターの人間は、

戦わずして負けたかのような絶望に襲われる。

そんな後悔や挫折を、理解しやすい言葉で描いているこの曲は、

昔の曲だけれど大人になった今、気に入り、耳を傾けている。

 

本当はあなたが好きなのだという心の底の底にある本来の欲望を隠した上で、

好きなその人に「寂しい」と、「辛い」と、涙を流しながら相談をすれば、

彼は私の肩を抱いて励ましてくれるし、胸を貸してくれるかもしれない。

でもその温もりは、「愛」ではなく「同情」の温もりなのだと、

本当の本当に欲しいのは、あなたの愛なのだと、そんな締めくくりで終わる、

究極の切なさで胸が締め付けられる、この曲がとても好きだ。

それは何故か。

私にも思い巡らすものがあるからだ。

あなたはとても大切な人だけど、好きだという気持ちに応えられないという、

そんな経験が。

その人がこんな気持ちで居たのかと思うと、胸が苦しい。

私だって苦しいけれど、想われる立場に居た私は、

少なくとも想い叶わなかった側の人間よりも幸せだったのだろう。

だからせめて、この曲を聞いた時は胸を締め付けておきたい。

ありがとうと、ごめんねを、忘れない為に。

#70 きみはいい子 / UNISON SQUARE GARDEN

「こんな僕だけど抱きしめてくれるかな」

当たり前だよ 当たり前だよ

そんなことは当たり前だよ

君はいい子だから愛されなきゃいけないね

だから辛い傷なんてさ

決してあってはいけないんだよ

失敗とか間違いも笑ってやり直せたら

それがいいね それがいいね

今からでもいいから無垢なまま君が笑えますように

    きみはいい子 / UNISON SQUARE GARDEN(作詞:田淵智也

 

2017年にリリースされたUNISON SQUARE GARDENの13thシングル、

fake town baby」収録のカップリング曲。

アップテンポで言葉数の多い楽曲にハイトーンボイスが印象的な彼らだが、

定期的にバラード曲も発表しており、スローで比較的低いキーで落ち着いた、

普段の曲とのギャップを感じさせる一曲である。

 

人に優しく、人を深く愛し、愛する人へ自分を捧げることができる人がいる。

それは決して簡単にできることではない。

優しくされてきたから優しさを知っているだとか、

愛されたことがないから愛し方がわからないとか、

お手本や経験値は確かに大事だし、その言葉の意味はわからないでもない。

わからないでもないが、その逆に、

人に優しくされて来なかったから、

心から愛されることがなかったから、

寂しくて、辛くて、儚くて、そんな気持ちを知っているからこそ、

愛する人に全身全霊で尽くすことができる人がいる。

そんな人を、「いい子」だとするのなら、

その愛する人に君自身が愛されて欲しいと心から願う。

本当の愛が何かを、知って欲しいと思う。

 

不自由なく生活を送ってきたような所謂「普通」の人間にはわからない。

些細な日常が、何よりもの幸せだということを。

小さなプレゼントが、とってもとっても嬉しいことを。

君がそんなに喜ぶから。

涙を流して「幸せだ」と言うから。

だからいつまでも、喜びや幸せを与えたいと思う。

 

「いい子」は、いつも謙虚だ。

こんなに楽しくて罰が当たらないか。

好きな人に抱きしめられるなんて信じられない。

普通に生きてきた人間にとって見れば当たり前のことなのに、

今まで当たり前にそれがなかったから、君にとっては毎日が奇蹟。

 

君はいい子だから、愛されなきゃいけないね。

だから辛い傷なんて、決してあってはいけない。

与えてはいけない。

君を幸せにできるのは、きっと君が決めた人。

想いが届いて、愛する人のもとへ、辿り着けることを願っている。

それが僕で、僕も君を想っていて、だけど君に寄り添うことができないとしても、

願っている。

いつか、きっと別の誰かに、君がいい子だと気付いてもらえて、

死ぬまでそばで、君が愛されますように、と。

#69 影 / 柴咲コウ

「僕は今どこにいるのだろう」

そんな立ち位置などたいして興味はない

対になる刺たち

頼りなどはじめから持ち合わせていない

穏やかさなどはきっと味わうことはない

ah そうして重みを伏せても

交わうことはできぬ愛すべき連れ人

                           影 / 柴咲コウ

 

2006年にリリースされた柴咲コウの9thシングル表題曲。

壮絶な人生を歩む主人公が描かれたドラマの主題歌として書き下ろされたため、

闇や陰を感じる、「影」というタイトルがぴったりの楽曲となっている。

 

生きている意味を感じられない。

何をして生きれば良いのかわからない。

今していることが、生きている世界が、正しいのかもわからない。

人は漠然とそんなことを思いながら生きている。

運命や使命を感じて生きている人だって、それは思い込みであって、

あるいはそうだと思いたいだけであって、

生きている本当の意味を知る者は誰もいない。

 

だからこそ、人と比べることは無意味だ。

自分の立ち位置など、考えるだけ無駄。

人と自分を比べて優位に立とうと、もがいている人間ほど愚かなものはない。

もちろん、他人など頼ったところで気休めで、

身を削って他人を幸せに導こうとする人間なんてほんの一握りだ。

 

そんな中、人は何を糧に生きているのだろうか。

死ねば何もかも無となる結末が待っているのに、何故生を求めるのだろう。

自ら終わらせる事だって可能なこの世の中に、

永らえる程の希望とは何だろうか。

 

それは結局、人なのだと思う。

どんなに二次元の世界に恋をしていたって、

ひとりで生きていくことを決めた人だって、それは気休め。

愛する人を見つけることができたら、世界は違って見えるのだと思う。

人は人からしか本当の希望をもらうことはできないのだ。

愛が唯一の糧になる。

今日が無事に終わることを考えている人に、

明日が楽しみだと思わせることができる。

平凡な当たり前が大嫌いな人に、

平凡な当たり前がいかに幸せかを感じさせることができる。

 

ただ残念ながら、世の中は陰と陽。

光と影が存在する。

愛を見つけて人生の輝きを感じている人の裏側で、

愛が欲しくても与えらえずに苦しんでいる人が必ずいる。

苦しみを味わっている人には、光は当たらないのか。

世界は平等なようで、そうではないのだから、誰にもわからない。

だから、自分を生きるのをやめる人がいる。

だけどそこでもう少し自分に賭けてみれば、幸せを掴める奇跡があるかもしれない。

 

人生は選択の毎日。

あなたの今日の選択の先に残るのは、光か影か。

悲しいかな、その答えを知ることは、生きていない限りなし得ない。

選択肢に少しの良し悪しがある限り、

選択したその先の結果を人は見たいがために、明日を生きる。

#68 遠く遠く / 槇原敬之

同窓会の案内状

欠席に丸をつけた

「元気かどうかしんぱいです。」と

手紙をくれるみんなに

遠く遠く離れていても

僕のことがわかるように

力いっぱい輝ける日を

この街で迎えたい

                       遠く遠く / 槇原敬之

 

1992年にリリースされた槇原敬之の3rdアルバム「君は僕の宝物」収録曲。

彼の代表曲のひとつであるが、シングル楽曲ではなく、アルバムの収録曲である。

多くの番組や音源で、多数のアーティストからカバーされるほどの人気曲で、

大人になった切なさや葛藤を描いた歌詞が印象的である。

 

進学や就職で、子供の頃から育った街を離れる人はたくさんいる。

今は、SNSで簡単に人と繋がることができる世の中だから、

離れても簡単に連絡が取れるし、一方的に相手の近況を知ることもできる。

携帯さえあれば待ち合わせは当たり前のように巡り会うことができ、

テレビ電話などで離れていても顔を合わせることが出来る。

だからなのか、元気かどうか心配だと言われることは、

そしてそんな気持ちを手紙で伝えられることは、

今の世の中少ないと感じる。

 

確かに連絡をしなければ親は心配するだろう。

SNSを更新しなければ「最近アイツ何してるんだろう」と思われるだろう。

例えば成功するまで地元には戻らないと決めて出て行ったからといって、

連絡が取れないわけではないし、何かあればいつでもその人にアクセスできる。

そんな「いつだって簡単に」という現実が、人と人の接触を遠ざけている。

 

27年前のこの歌が歌われた時代、

遠く遠く離れた人に自分のことがわかるようにするには、

どんな手段があったのだろうか。

彼にとっては、音楽で成功し、テレビに出るようになって、

テレビ越しに自分の活躍を知らせることだったのだろう。

芸能人だからこそ、輝きや栄光を伝えることができる。

 

変わる時代の中で、私たちは誰に何をどのようにして伝えることが良いのだろうか。

結婚式などで両親に自筆の手紙で感謝を伝えるような文化が残る一方で、

告白や別れ話、感謝の言葉もメール、そして今やSNSに切り替わっている。

大事なのは変わっていくことなのか、変わらずにいることなのか。

きっと意見は半々だろう。

ひとつ言える事は、時代の進化に伴って、私たちの選択肢は増えているということ。

何を選択し、それをどう料理するかは本人次第。

そしてその組み合わせは無数に広がっているのだ。

 

たくさんのことがダイバーシティとして受け入れられるようになったのも同じ。

昔には限られた選択肢しかなかった「当たり前」が、どんどん増えてきている。

過去にマイナーだったものが、そうではなくなったように、

まさに今少数派のこともいつかの時代には当たり前に変わっているかもしれない。

いくつもの当たり前が、私たちを悩ませる。

今を生きる人間の心は、選択肢を増やした文明の発展に反比例し、

悩みや葛藤と言った負の世界に置かれているような気もする。

 

誰かを思った時に、その人に連絡をしよう。

直接会って、話をしよう。

たくさんの情報を元に、変わるべきか、変わらないべきか、判断しよう。

それぞれの時代に合った生き方が、必ずあるはずなのだから。

#67 Born To Be... / 浜崎あゆみ

あの頃の僕らに

もしもどこかで出会ったら

未来は不安じゃないと伝えよう

いつかは許せる事がある

いつかは笑える時が来る

人知れず膝を抱えながら

涙していた夜を乗り越えた

小さな背中が教えてる

                   Born To Be... / 浜崎あゆみ

 

2006年にリリースされた浜崎あゆみの39thシングル、

「Startin' / Born To Be...」収録曲。

コーラスワークが多用された楽曲で、

当時は「Bold & Delicious」などゴスペルコーラスを取り込んだ曲も発表していた。

その中でもBorn To Be...はサビがキャッチーで、今でもよくライブで歌唱される。

 

いつだって、自分の将来はどうなっているか、不安なものだ。

子供だけじゃない。大人だって、不安でいっぱいで、

明確なビジョンを持っている人の方が、きっと少ない。

必ず学校を卒業して環境が変わるという、覚悟ができる学生とは違って、

社会人は例えば5年後、自分は同じ場所で同じように仕事をして生活しているのか?

家族は皆健康で生きているのか?今の安定が壊れることを心配する。

もちろん何も未来に不安を抱いていない人にだって、必ず何かの変化は訪れる。

 

現に私は、大学を卒業して大手企業に入社し、

自分は定年までこの会社で働くのだろうと思いながら、社会人生活を送っていた。

だけどそれはいつしか変わり、入社当時思いもしなかった転職をして、

住む場所まで変えて新しい生活を送っている。

その世界にずっと身を置くと思っていた当時と違い、

自分が想像もしていなかった未来がここには広がっている。

 

転職を考え始めてから将来を憂い、

ストレスを抱えながら転職活動をしていたあの頃の自分に、今の自分が出会えたら。

無事に大学まで入学できた自分が、

漠然とただ勉強をさせられていた子供の頃の自分に出会えたら。

未来は不安じゃないと、そのまま頑張れば良いと、伝えたい。

きっと誰もがそんなことを思ったことがあるからこそ、歌詞が多くの人の共感を得る。

 

大抵のことは、自分との戦いで、誰かが邪魔をして来たって、

それは自分が強くあれば立ち向かうことが出来て、

だから大小に限らず毎日何かしらの葛藤と自分は対立して強くなっている。

人知れず涙を流したことだって、自分を強くするためのステップなのだ。

そうやって自分と戦いながら、多くのことを乗り越えて、

誰かに強さや優しさを分け与えられるようになる。

 

いつだって人は成長の途中。

いくつになったって、どこに居たって。

今日がもし、ゴールにまだ程遠くても、

小さなゴールテープを切りながら、見えない未来のゴールに向かって走っている。

自分は何の為に生まれたのか、その意味を知るために。

#66 さよならの前に / AAA

最後のページに結末があるように

二人の日々も終わる時が来るのかな

揺れる気持ちを胸の奥に秘めたまま

ごまかすように抱きしめたりキスをしたね

震える指先で誓い合った未来も

確かなあの温もりも

別れの日が嘘に変えてゆく

君にさよなら告げるため

僕らあんなに愛し合ったのかな

これが二人の結末と知っても

好きだよって君に伝えられたかな

さよならの前に / AAA(作詞:森月キャス / ラップ詞:Mitsuhiro Hidaka)

 

2014年にリリースされたAAAの42ndシングル表題曲。

リリースから数年たった今も特別番組で歌唱する楽曲に選ばれる、

彼らの代表曲のひとつで、レコード大賞の優秀作品賞を受賞している。

過去の作品とは違いメンバー全員がリードボーカルを担えるようになり、

人気絶頂時に発表されたミディアムバラード曲である。

 

恋愛の終わりは、運命のいたずらで迎えることも稀にあるが、

多くは人間の決断によって幕を閉じる。

冷え切った状態に終止符を打つのも、どちらかの決断があってのアクションである。

一方は変わらず愛しい気持ちで溢れているのに、

もう一方が突然その終わりを告げることもそうだ。

そして、愛し合っているのに、別れなければならない、そんな運命も。

 

出逢いがあれば別れがあるとは言うが、

それは、死を迎えることによる旅立ちだと信じている。

添い遂げると決めた相手と、別れるつもりなんて毛頭ない。

結婚していなくたって、「この人といつか結婚する」と思って恋愛をしている人は、

少なくはないはずだ。

だけど時として、別れを選択しなければならない事情が出てきてしまうことがある。

 

それに気付いてしまったら、心はいつだって揺れてしまい、

顔つきも、口から出る言葉も、ただ純粋に好きでいた頃のそれとは異なって、

きっと相手はその異変に少なからず気付いてしまうだろう。

いつか終わらせなければならないと、

胸の中に葛藤を抱きながら、素直な瞳でこちらを見つめるパートナーを、

誤魔化すように抱きしめたりキスをして安心させる。

告げるなら、早いほうがいいのに、出来ないのだ。

あなたが悲しむ顔や涙を見たくなくて。

もしかしたら別れなくても良い、何か別の選択が出来ることになるかもしれないと、

叶いもしない希望を信じ続けている振りをして。そうやって、悪あがきをする。

 

変わってしまうのだ。別れを告げた瞬間に。

愛しているのに、あなたに伝えた「愛してる」が、嘘に。

失ってしまうのだ。

私を愛し信頼を寄せ包んでくれた、その優しさを。

「これが二人の結末と知っても、好きだよって君に伝えられたかな」

崖の上から突き落とされたような気持ちになるだろう。

いっそ出逢わなければ良かったと、言われるのだろうか。

出逢えて良かったと想い合える日が訪れるなんて、そんな奇跡は起こるだろうか。

 

さよならを告げるまででいい。

他の誰でもない、自分のそばに居て欲しい。

なんて我侭な感情なのだろうか。

だけど、この曲の歌詞の中で最も共感してしまうのだ。

大好きだから、さよならなんて本当は言いたくはない。

どんなに引き伸ばしたって、事情が変わらない限りいずれその時は訪れる。

苦しくて仕方がない。

頭の中で結末に辿り着いた時点で、別れを告げるべきだったのだ。

のめり込んでしまう前に。心から愛し合うその前に。

 

さよならを告げるために愛し合ったなんて、切ないけれど、

時間を共にすることが出来たから、人生の彩りが生まれ、

別れを迎えて深みに変わる。

仕事や勉強では学べない大事な何かを、人は恋愛で培っていくのだと、

大人になった今の方が、それをよく解っている。