#54 桔梗が丘 / 平井堅

鍵をかけたドア越しにこぼれる

あなたの泣き声をただ聞いてた

忘れないで何かに勝つときは

負ける人の涙があることを いつでも

正直言うと私だって

胸を張れるような大人じゃなくて

声を上げて苛立ちをぶつける夜もあった

本当にごめんね

                   桔梗が丘 / 平井堅

 

2013年にリリースされた平井堅の配信限定シングル曲。

本人の故郷の地を曲名にし、母へ向けた感謝の言葉が綴られている。

優しいメロディや伴奏と平井堅のファルセットが織り成す、

心温まるミディアムバラードである。

 

親は、子供の前で泣こうとしない。

子供を支えていく決意の現われなのか。

不安にさせまいと必死なのか。

私の親も、子供の前で簡単に泣くような親ではなかった。

 

父は家族から感謝の言葉を掛けられなくても、毎日会社に向かった。

自分の子供にも興味を示さず、かと言って休みの日を趣味に費やすでもなく、

彼の人生の楽しみは何なのだろう?

子供ながらにそう思っていた。

父が泣いた姿を見たのは、祖母、つまり父にとっての母親が亡くなった通夜、

たった一度きり。

 

母はパートをしながら同居していた祖母、母にとっての母親の介護を、

祖父と共に10年近く続けていた。

介護をしていた祖父のほうが急に弱り果て、先に亡くなってしまったが、

それでも母は私たち子供の前では涙を目に溜める程度だった。

しかし母は両親を亡くしてから涙もろくなった。

動物の死や親子の絆などのストーリーをテレビで見るとすすり泣くようになった。

祖父の思い出話を私にしながら声を震わせて涙を流した。

母の泣いた姿を見たのも、そんなものだ。

 

きっと本当は声に出して泣きたいくらいに悲しかったのに、

私の前では両親はそれをしなかった。

私も、祖父母が亡くなり、共に生活した家族を亡くす悲しみを知った時、

風呂場でシャワーを流しながら、シャワーの音に隠れて泣いたものだった。

悲しければ悲しめば良いのに、肩を寄せ合えば良いのに、

互いにそれが出来ずどこかで強がっていた。

親子とは不思議なものだ。

近いのに、遠く感じることもある。

 

そしていつの間にか立場は逆転してしまう。

小さい頃は親を必要とするのに、大人になると親元を離れ、

親は子供の世話をしていたはずなのに、年老いて今度は自分が介護を必要とする。

子供はいくつになっても敏感で、

白髪が増えたり、髪の毛が薄くなったり、痩せてしまったり、

親の衰えにいち早く気づくのに、認められなくて目を逸らす。

うちの親に限って、なんてどこかで思っている。

 

いつかあなたが、空を翔く日が来ても。

この歌詞は、子育てに開放され自由の身となった親のことを言っているのか、

亡くなってしまう親を歌っているのか。

いずれにしても、言葉では恥ずかしくてなかなか伝えられない代わりに、

いつでも心を通わせることが出来る環境を作っておいてあげることは、

立派な親孝行なのだと思う。

定期的に親には顔を見せよう。

どんな生活を送っているのか話してあげよう。

きっとそれだけで親は喜び、また子供のいないところで密かに涙を流す。

互いに思いやる、素敵な関係なのである。