#63 Dear Friends / day after tomorrow

電話帳のメモリー増えれば安心した

ケータイをなくしたら記憶も残らない

今頃気づいたってもう遅いよね きっと

どれだけ君に傷を負わせていただろう?

       Dear Friends / day after tomorrow(作詞:Yoshi / misono)

 

2003年にリリースされたday after tomorrowの7thシングル表題曲。

携帯小説とのコラボ作品でもある。

音程の高低が少なく、歌唱力の高いmisonoの迫力を活かすのには惜しいが、

キャッチーなメロディと学生の共感を得る歌詞が印象的である。

 

携帯電話を持ち始めるのは、最も多感な中学生や高校生時代が当時は多かった。

むやみやたらと、少し話しただけで友達だから、携帯のアドレスを交換する。

そうやって登録件数が増えていくほどに、満たされた感覚を覚えている。

そして、イコール友達が多いのだという認識をされ、

携帯メモリーの登録件数が多い人は周りから賞賛されていた。

 

どんどん時代は機械化され、

携帯電話と呼ばれるものはスマートフォンが主流になり、

カセットテープはMDを経て電子媒体となり、

手に職があることを誇っていた業界にもいつの間にかAIが導入されつつある。

そういったハイテクな機械があることが当たり前の世の中になった。

 

もし携帯を無くしたら、大切な人への連絡手段は?

友達の家の電話番号を覚えているのが当たり前だったあの時代は、もう古い。

生きた証を、過ごした日々を記録していた写真は?

律儀に印刷して残している人のほうが、もはや少ないだろう。

 

それが薄っぺらだとは言わない。

皆、時代の流れに乗り、適合して生きている。

でも時々思うのだ。

携帯を忘れて出掛けたら、待ち合わせの人と会うことができないかもしれない。

行く予定だった場所へ、行くことができないかもしれない。

何かを疑問に思っても、調べることも出来ない。

 

機械や進歩の技術と共に、昔のご近所付き合いのようなフランクな環境は消え、

ネットを通じて顔も知らないような人間と友達になり、

必要最低限の人間との付き合いに限り、

在宅勤務のように家すら出なくても仕事が出来る。

子供の頃繋ぎ合わせていた形だけの絆は、そうやって大人の世界にも蔓延っている。

むしろ「大人の付き合い」が大半を占めるのだから、

子供の頃社交性を培うことが出来なかった大人達は、

定義はどうであれ「本当の友達」を作ることが難しくなるだろう。

 

この時代を生き抜く為に、必要なものは何だろう。

技術の進歩についていくことか?

昔を忘れずに協力し合う、警戒心が必要のない空間を作ることか?

我々が繋ぎ合わせて確かめるべきものは、いったい何なのだろうか。