#68 遠く遠く / 槇原敬之

同窓会の案内状

欠席に丸をつけた

「元気かどうかしんぱいです。」と

手紙をくれるみんなに

遠く遠く離れていても

僕のことがわかるように

力いっぱい輝ける日を

この街で迎えたい

                       遠く遠く / 槇原敬之

 

1992年にリリースされた槇原敬之の3rdアルバム「君は僕の宝物」収録曲。

彼の代表曲のひとつであるが、シングル楽曲ではなく、アルバムの収録曲である。

多くの番組や音源で、多数のアーティストからカバーされるほどの人気曲で、

大人になった切なさや葛藤を描いた歌詞が印象的である。

 

進学や就職で、子供の頃から育った街を離れる人はたくさんいる。

今は、SNSで簡単に人と繋がることができる世の中だから、

離れても簡単に連絡が取れるし、一方的に相手の近況を知ることもできる。

携帯さえあれば待ち合わせは当たり前のように巡り会うことができ、

テレビ電話などで離れていても顔を合わせることが出来る。

だからなのか、元気かどうか心配だと言われることは、

そしてそんな気持ちを手紙で伝えられることは、

今の世の中少ないと感じる。

 

確かに連絡をしなければ親は心配するだろう。

SNSを更新しなければ「最近アイツ何してるんだろう」と思われるだろう。

例えば成功するまで地元には戻らないと決めて出て行ったからといって、

連絡が取れないわけではないし、何かあればいつでもその人にアクセスできる。

そんな「いつだって簡単に」という現実が、人と人の接触を遠ざけている。

 

27年前のこの歌が歌われた時代、

遠く遠く離れた人に自分のことがわかるようにするには、

どんな手段があったのだろうか。

彼にとっては、音楽で成功し、テレビに出るようになって、

テレビ越しに自分の活躍を知らせることだったのだろう。

芸能人だからこそ、輝きや栄光を伝えることができる。

 

変わる時代の中で、私たちは誰に何をどのようにして伝えることが良いのだろうか。

結婚式などで両親に自筆の手紙で感謝を伝えるような文化が残る一方で、

告白や別れ話、感謝の言葉もメール、そして今やSNSに切り替わっている。

大事なのは変わっていくことなのか、変わらずにいることなのか。

きっと意見は半々だろう。

ひとつ言える事は、時代の進化に伴って、私たちの選択肢は増えているということ。

何を選択し、それをどう料理するかは本人次第。

そしてその組み合わせは無数に広がっているのだ。

 

たくさんのことがダイバーシティとして受け入れられるようになったのも同じ。

昔には限られた選択肢しかなかった「当たり前」が、どんどん増えてきている。

過去にマイナーだったものが、そうではなくなったように、

まさに今少数派のこともいつかの時代には当たり前に変わっているかもしれない。

いくつもの当たり前が、私たちを悩ませる。

今を生きる人間の心は、選択肢を増やした文明の発展に反比例し、

悩みや葛藤と言った負の世界に置かれているような気もする。

 

誰かを思った時に、その人に連絡をしよう。

直接会って、話をしよう。

たくさんの情報を元に、変わるべきか、変わらないべきか、判断しよう。

それぞれの時代に合った生き方が、必ずあるはずなのだから。